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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)2379号 判決

原告

安本貞子こと金貞姫

ほか二名

被告

山本哲男

ほか五名

主文

被告山本哲男、被告岸本塗装工業株式会社、被告寺尾雅行は、各自、原告安本貞子こと金貞姫に対し、金三九〇八万八二五五円及びこれに対する昭和五〇年五月三一日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告安本泰雄こと金泰東、原告安本薫子こと曺薫祚に対し、それぞれ金一一四万円及びこれに対する前同日から支払済まで年五分の割合による金員を、支払え。

原告らの、被告山本哲男、被告岸本塗装工業株式会社被告寺尾雅行に対するその余の請求、及び被告山田敏夫、被告渡辺雅夫、被告渡辺健夫に対する請求を、いずれも棄却する。

訴訟費用中、原告らと被告山本哲男、被告岸本塗装工業株式会社、被告寺尾雅行との間に生じた分はこれを二分し、その一を原告らの負担、その余を右被告三名の負担とし、原告らと被告山田敏夫、被告渡辺雅夫、被告渡辺健夫との間に生じた分は原告らの負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、原告安本貞子こと金貞姫において、被告山本哲男、被告岸本塗装工業株式会社、被告寺尾雅行に対しいずれも金四〇〇万円の、原告安本泰雄こと金泰東、原告安本薫子こと曺薫祚において、被告山本哲男、被告岸本塗装工業株式会社、被告寺尾雅行に対しいずれも金一二万円の、各担保を供するときは、仮に執行することができる。

ただし、被告岸本塗装工業株式会社、被告寺尾雅行において、原告安本貞子こと金貞姫に対しいずれも金八〇〇万円の、原告安本泰雄こと金泰東、原告安本薫子こと曺薫祚に対しいずれも金二四万円の、各担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは各自、原告安本貞子こと金貞姫(以下、原告貞子という。)に対し、金八三四九万八八一五円及びこれに対する、被告山本哲男(以下、被告山本という。)、被告岸本塗装工業株式会社(以下、被告会社という。)、被告山田敏夫(以下、被告山田という。)、被告寺尾雅行(以下、被告寺尾という。)は昭和五〇年五月三一日から、被告渡辺雅夫(以下、被告雅夫という。)は昭和五一年一二月一六日から、被告渡辺健夫(以下、被告健夫という。)は昭和五三年一〇月五日から、各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告山本、被告会社、被告山田、被告寺尾は、各自、原告安本泰雄こと金泰東(以下、原告泰雄という。)、原告安本薫子こと曺薫祚(以下、原告薫子という。)に対し、それぞれ金一五〇万円及びこれに対する昭和五〇年五月三一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言。

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二請求原因

(被告山本、被告会社、被告山田、被告寺尾関係)

一  事故の発生

1  日時 昭和五〇年二月二六日午後六時三〇分頃

2  場所 大阪府寝屋川市香里本通町二番六号先路上

(以下、本件事故現場という。)

3  加害車 大型貨物自動車(京一一さ六八九二号)

右運転者 被告山本

4  被害者 原告貞子

5  態様 本件事故現場付近を歩行していた原告貞子が、対面進行してくる加害車を道路脇に立止つてやりすごし、同車が停止したので、再度歩きはじめたところ、後退してきた加害車に両足を轢過された。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告山田、被告寺尾は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

2  使用者責任(民法七一五条一項)

被告会社は、被告山本を雇用し、同被告が被告会社の業務の執行として加害車を運転中、次の3記載の過失により本件事故を発生させた。

3  一般不法行為責任(民法七〇九条)

自動車運転者としては、後退するにあたつては、後方の安全を十分確認すべき注意義務があるのに、被告山本は、右注意義務を怠り、漫然と加害車を後退させた過失により、本件事故を発生させた。

三  損害

〔原告貞子の分〕

1 受傷、治療経過等

(一) 受傷

原告貞子は、本件事故により両下肢ガス壊疽、左第七、第一〇肋骨骨折、左外傷性血胸、左肩鎖関節脱臼、左腓骨骨折、右大腿切断の各傷害を負つた。

(二) 治療経過

原告貞子は、右傷害の治療のため、昭和五〇年二月二六日から同年三月一日まで渡辺病院に、同日から昭和五一年二月一六日まで及び同年八月から九月までの間に約一か月間大阪大学医学部附属病院(以下、阪大病院という。)に、合計三八五日間入院し、昭和五一年九月から昭和五二年五月三一日まで(実治療日数五〇日)阪大病院に通院した。

(三) 後遺症

原告貞子には、併合して自賠法施行令別表後遺障害等級第三級に該当する右大腿切断(第四級第五号)、左下肢の足関節の機能障害(第一〇級第一〇号)の各後遺障害が残存した。

2 治療関係費

(一) 入院付添費 七七万円

前記入院期間中、原告泰雄、原告薫子ら家族が付添看護にあたり、一日二〇〇〇円の割合による右金額相当の損害を被つた。

(二) 入院諸雑費 一七四万四八九八円

(三) 通院交通費 一〇万三〇〇〇円

(四) 通院付添費 一〇万円

(五) 診断書代 一五〇〇円

3 義足代等の費用

原告貞子は、本件傷害のため終生義足を必要とするようになつたが、その製作を大阪市北区天神橋筋一丁目所在川村義肢株式会社に依頼したため、その完成までに家族の付添を得て再三同会社に赴かなければならなかつたほか、右義足の単価は三五万円、一具当りの使用期間中の修理代金として二四万五〇〇〇円を要するところ、原告貞子の生涯には、七六歳まで生存するものとして、少なくとも一五具が必要である。

(一) 交通費 二万六五二〇円

(二) 付添費 三四万円

(三) 義足代 八九二万五〇〇〇円

(算式) (三五万+二四万五〇〇〇)×一五=八九二万五〇〇〇

4 自動車購入等の費用

原告貞子は、義足を装着していても歩行に不自由をきたすため、社会生活上の必要に迫られて、運転免許を取得し、自動車を購入したが、その生涯には、今後少なくとも七台を買替える必要があり、その維持費は毎月六〇〇〇円を下らない。

(一) 自動車学校の入学金 一五万一〇〇〇円

(二) 同交通費 一二万六四〇〇円

(三) 同付添費 八万円

(四) 自動車購入費 一五九万四〇〇〇円

(五) 同買替代金 一一一五万八〇〇〇円

(算式) 一五九万四〇〇〇×七=一一一五万八〇〇〇

(六) 同維持費(二〇年間分)一四四万円

(算式) 六〇〇〇×一二×二〇=一四四万

5 自宅の改造費 二九〇万円

身体の不自由な原告貞子の生活に適応するようにその居宅を改造することを余儀なくされ、そのために右金額の支出を必要とした。

6 薬学部編入のために要した費用

原告貞子は、神戸学院大学栄養学部に在籍していたところ、本件傷害のため、実習が困難となり、また、将来のことも考えて、やむなく同大学薬学部に編入学したが、そのため、次の出費を余儀なくされた。

(一) 薬学部教科書代 五万八〇〇〇円

(二) 同入学金 二五万五〇〇〇円

(三) 同授業料等 一六万五九〇〇円

(四) 同寄付金 八〇万円

(五) 通学のための交通費 四七万四八一〇円

7 逸失利益 四七一一万二二八七円

原告貞子は、本件事故当時二一歳(昭和二八年九月一八日生れ)で、大学に三回生として在学中であり、本件事故がなければ昭和五一年春に大学を卒業して適当な職に就くはずであつたが、前記後遺症のため、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したものであるところ、その逸失利益の算定にあたつては昭和四九年の賃金センサス(第一巻第一表企業規模計産業計女子労働者新大卒)を基礎とし、その就労可能年数は昭和五一年四月から四四年間と考えられるから、原告貞子の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、別表記載のとおり、四七一一万二二八七円となる。

8 慰藉料 一五〇〇万円

将来ある女子大学生であつた原告貞子は、何らの過失もないのに、本件事故により、右大腿部以下切断という大きな損害を被つたものであり、その後遺障害のため、人並みの労働は勿論、自分の身の回りのことさえ自由にならず、結婚も絶望的であつて、将来の希望が持てないこと、その他諸般の事情によれば、原告貞子の慰藉料額は一五〇〇万円が相当である。

9 弁護士費用 二〇〇万円

〔原告泰雄、原告薫子の分〕

慰藉料 各一五〇万円

本件事故により愛娘が不具の体で一生を送らざるをえなくなり、家族全部が種々の犠牲を強いられることとなつたことを考えれば、原告貞子の両親である原告泰雄、原告薫子の精神的苦痛を慰藉するに足りる金額は、各一五〇万円を下らない。

四  損害の填補

原告貞子は、次のとおり支払を受けた。

1  自賠責保険から 七八四万円

2  被告山本から 三九八万七五〇〇円

(被告雅夫、被告健夫関係)

一  被告雅夫、被告健夫は、寝屋川市香里本通町一〇番二号において渡辺病院(院長被告健夫)を共同経営し、ともに、医師として医療行為に従事しているものである。

二  原告貞子は、本件事故により、両下肢挫滅創、左第七、第一〇肋骨骨折、左外傷性血胸、左肩鎖関節脱臼、右腓骨骨折等の傷害を受け、昭和五〇年二月二六日午後七時二〇分頃渡辺病院に搬送され、同年三月一日まで入院し、被告雅夫、被告健夫の治療を受けた。右治療は、原告貞子と右両被告との間に成立した医療契約(右両被告が原告貞子の右傷害に対し善良なる管理者の注意をもつて医療行為をするという準委任契約)に基づくものである。

三  ところが、原告貞子の両下肢の挫滅創にガス壊疽が発生し、結局、同月一〇日、転医先の阪大病院において、その右大腿以下を切断するのやむなきに至つた。それは、左記右両被告の重大な過失によるものである。即ち、

1  原告貞子が本件事故により受けたような外傷性の挫滅創に対しては、それに付随して予想される破傷風やガス壊疽等の予防のためにも、当然、十分な時間をかけて撤底的な患部の洗滌、消毒、異物の摘出を行なうことが要求されているのに、被告雅夫、被告健夫は、原告貞子が搬送されてきた直後の午後七時三〇分頃から僅かに三、四十分間、その挫滅創部の洗滌、消毒、異物の摘出の措置をしたにとどまるのであつて、それは、原告貞子の受傷の程度にかんがみれば、甚だ不十分なものであつた。しかも、本件のような挫滅があつた場合には、患部の深部における細菌の繁殖を防止するため、開放創にしておくのが常識であるのに、右両被告は、これを縫合してしまつた。この種創傷の治療にあたる医師に要求される注意義務にかんがみて肯認しがたい右両被告の措置が、原告貞子のガス壊疽罹患の主因をなしているのである。

2  被告雅夫、被告健夫は、原告貞子の入院中、終始その症状を正確に把握して、これに応じた適切な治療をし、措置をとるべきであるのに、僅かに、入院当日の二六日は、午後一一時に、二七日は、午前一〇時、午後一時、同八時の三回、二八日は、午前一〇時と午後一時(この時はじめて両足に対する簡単な消毒を行なつた。)の二回、三月一日は、午前一一時に一回、回診したにとどまるのであり、その診察の内容も、症状を正確に把握しうる程度というには程遠いものであつた。特に、原告貞子に付添つていた原告泰雄、原告薫子が、ガス壊疽特有の異臭に気付いて、二月二七日、二八日の二度にわたつてこれを訴えたのに、何ら検討することもなく一蹴し、また、原告らのレントゲン撮影の要望も容れることなく、そのまま推移している。そこで、右被告両名の治療に不安を感じた原告泰雄、原告薫子は、伝手を求めて大阪市立大学の吉中正好医師に助言と応援を求めたが、三月一日午後二時三〇分頃同医師が渡辺病院に来て診察した結果、原告貞子の両下肢の挫滅創部位にガス壊疽が発生していることが判明したときは、既に手遅れの状態であつた。

ガス壊疽の潜伏期間は、通常六、七時間とされており、原告貞子のガス壊疽の症状は、二月二七日には既に発現していたものと考えられる。右被告両名が、原告らの訴えを十分検討し、あるいは、医師として原告貞子の症状の変化を注意深く観察してさえいれば、もつと早い段階で、容易にガス壊疽の発症を知り、設備の整つた病院へ転院させることが可能となり、右下肢の切断という最悪の結果は避けることができたはずである。

四  以上、被告雅夫、被告健夫には、原告貞子との間の診療契約上の債務不履行、または不法行為責任に基づいて、前記第一の三記載の原告貞子が被つた損害(ただし、同四記載の填補された金額を控除したもの)を賠償する義務がある。

(結論)

よつて、本件事故等に基づく損害の賠償として、原告貞子は、被告らに対し、金八三四九万八八一五円及びこれに対する、被告山本、被告会社、被告山田、被告寺尾は、訴状送達の日の翌日ないしそれ以後である昭和五〇年五月三一日から、被告雅夫は訴状送達の日の翌日である昭和五一年一二月一六日から、被告健夫は訴状送達の日の翌日である昭和五三年一〇月五日から、各支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告泰雄、原告薫子は、被告山本、被告会社、被告山田、被告寺尾に対し、各金一五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日ないしそれ以後である昭和五〇年五月三一日から支払済まで前同割合による遅延損害金の、支払を求める。

第二請求原因に対する答弁及び反論

(被告山本、被告会社、被告山田、被告寺尾の答弁)

一  請求原因一の1ないし4の事実は認める(ただし、事故発生は午後七時頃である。)が、同5の事実は争う。

二  同二の事実については、そのうち、加害車が被告寺尾の所有であることは認めるが、その余はいずれも争う。被告山田は車庫証明の関係で被告寺尾に仮に名義を貸していただけであつて、運行供用者ではなく、また、本件事故当時被告山本は被告寺尾の従業員であり、本件事故は被告寺尾が被告会社より依頼を受けてその製品を被告山本に命じて運搬させていた際に発生したものであつて、被告会社には本件事故につき使用者責任はない。

三  同三の事実のうち、原告貞子の傷害の程度及び加療の態様については不知、原告らの損害額は否認する。

(被告雅夫、被告健夫の答弁)

一  請求原因一の事実中、右被告両名が渡辺病院を共同経営しているとの点は否認し、その余の事実は認める。同病院の経営者は被告健夫であり、被告雅夫はその勤務医であるにすぎない。

二  同二の、医療契約の成立は否認する。被告雅夫は契約の主体ではないし、また、原告貞子は当時意思表示のできる状態ではなかつた。同二のその余の事実は認める。

三  同三の事実については、後記反論における主張事実に合致する部分は認めるが、これに反する部分は全て否認する。

四  同四は争う。

(被告雅夫、同健夫の反論)

一  原告貞子の症状及び治療経過

1  事故当日午後七時二〇分頃、渡辺病院に搬送された原告貞子は、全身的な症状として、著明なシヨツク状態であり、明日までもつかどうかが危ぶまれる瀕死の状態であつた。その傷害のうち、最も重篤で明白なものは両下肢の挫滅創であり、その他に、全身打撲に伴うさまざまの障害が予測された。両下肢の挫滅創は、皮膚及び皮下組織が体表面積の四分の一以上の広さで、下肢全周にわたつて剥離しているというもので、特に右下肢においてひどく、健全な組織だけにしようとすれば、殆んど骨だけになつてしまう程のものであつたし、また、血行路再建術の施行による血行障害の修復も到底不可能という状態であつた。

2  被告健夫、被告雅夫は、右原告貞子の創傷の状態からみて下肢切断の適応と認め、原告泰雄、原告薫子にその必要を説いたが、同原告らは、娘が意識も回復しておらず、生命がもつかどうかの瀬戸際だというのに、被告健夫が求めても、手術室に入つて原告貞子の負傷の実情を見ることをも拒み、ただ、切断をせず、原型をとどめてもらいたいとの強い希望を述べるのみであつた。

3  被告健夫、被告雅夫は、午後七時三〇分頃から多数の看護婦に補助をさせて、分担して、デブリドメントブラツシング、異物摘出をし、創を縫合して、同八時四五分頃、手術を終了した。前述の原告泰雄らの希望により、血行不全による壊死の進行が予想されながらできるだけ組織を残すという、かなりの妥協を強いられたため、感染の危険や壊死を土台とするさまざまの障害の危険も残されることとなつたが、右両被告としては、できる限りのことはしたのであり、事実、転医後の処置の際にも、明らかな異物はなかつたのである。なお、創を縫合したのは、原告らの強い要求もあり、また、広範にわたり重篤な創の状態にかんがみ、開放のままにしておけば筋肉の壊死を更に進行させることにもなるからである。縫合は粗くし、術後の浸出液や膿の貯溜を防ぎ、外部に誘導するための排液用ガーゼを入れた。

4  被告健夫、被告雅夫は、原告貞子の創の状態からガス壊疽の発症を懸念し、深夜にパトロールカーの出動を煩してガス壊疽抗毒素を入手し、二月二七日午前〇時四〇分頃テストを行なつたうえ、同時五五分頃、これを原告貞子に注射した。

5  右3の手術後、被告雅夫、被告健夫及び看護婦らは、原告貞子に対し、頻回に必要な回診、観察、処置を行なつている。特に被告両名は、足背動脈の触診により血行障害の有無を確認する、一部縫合糸を抜いて消息子を入れ、傷口からの気泡、泡沫の有無を確認する、創分泌物のグラム染色による細菌検査をする(その結果、ガス壊疽菌を含むグラム陽性桿菌は終始陰性であつた。)、ガス壊疽に有効な抗生物質(ペニシリンG、ペントレツクス)を投与する等、常にガス壊疽を念頭において十二分の注意をしていた。

6  二月二七日午後三時一〇分頃、原告貞子の患部のレントゲン撮影を試みたが、フイルムカセツトを背の下に入れるためその体位を動かしたところ、原告貞子がシヨツク状態となつたので、撮影を中止した。

7  三月一日の午前中、ガス壊疽特有の甘い臭い、腫脹、浮腫、握雪感が顕れたので、被告雅夫は、原告貞子にガス壊疽が発症したものと診断し、原告らに、その旨及び転医の必要があることを告げた。ところが、原告泰雄はこれを拒み、知人の医師が来るまで待つよう要求したので、無理に転医させるわけにも行かず、取敢えず待つ間の次善の策としてガス壊疽抗毒素血清の手配をした。ついで、午後一時過ぎ頃には原告貞子の収容につき阪大病院救急センターの了解を取付け、なお原告泰雄に拒まれて午後三時頃まで待つたが、ついに待ち切れず、その意思にかかわらず、救急車の出動を要請して、転医を強行しようとしていたところ、その場に訪れたその知人の吉中医師も転医の必要を認めたので、原告泰雄もようやく納得した。結局、原告貞子が阪大病院に到着したのは、同日午後三時五〇分頃である。

二  被告雅夫、被告健夫の無過失

1  生活力のないことが明らかな組織を識別し除去するのは比較的容易であるが、創面を完全に清浄にして病原菌を全くない状態にすることは実際上不可能であり、大きな傷創の場合、負傷部を切断するほかは、機械的方法で細菌感染を完全に防ぐことは不可能である。原告らの強い要望に妥協した面はあつたが、被告らとしては、できるかぎりの処置はしたのであり、原告貞子にガス壊疽が発生したのは、やむをえない結果である。

2  ガス壊疽の潜伏期間は、一定しておらず、三時間から六週間とその幅が広い。また、抗毒素血清を投与した場合にはそれが延びるという資料もある。しかも、その発症後の進行は極めて早いから、その発症時期を一般的に文献的知識で断ずるのは危険である。そして、ガス壊疽を極めて初期の段階でみつけることは、特殊な場合以外ありえないことである。その初期症状は、痛み、軽度の発熱、脈搏上昇などであるが、本件の場合には、原告貞子には、ガス壊疽の発症とは無関係にこれらの症状が既に発生していた。ガス壊疽特有の甘い臭い、腫脹、浮腫、握雪感が顕れ、その発症が疑われたのは三月一日である。それ以前にも創部の異臭のあつたことは否定しないが、それは、この種患者の創傷に伴うものとして特に異常なものではなかつた。なお、ガス壊疽の早期診断には、臨床症状が最も重要であり、レントゲン撮影はそれ程決定的なものではない。

被告両名は、原告貞子の創傷の程度態様にかんがみ、当初からガス壊疽の発症の危険を念頭に置き、これに対する十分の注意を怠らなかつたものであり、現に、慎重な診察により、適切な時期にその発症を発見しており、その後の処置についても可能な手段を尽しているのであつて、大切な時期に転医が四時間も遅れたのは、被告両名の指示を拒否した原告泰雄らの責任である。

3  なお、高圧酸素療法の恩恵に浴しうるのは、今日でも例外的であり、右療法によつても、患肢切断に至る症例も存するのである。しかも、高圧酸素療法は、ガス壊疽の予防には用いえないものである。ガス壊疽の発症がなければ、壊死部分が健常部分と区画されるのを待つて切断すればよく、その程度の措置なら渡辺病院でも可能である。体位を動かすだけでシヨツク状態となつた二七日、やや落着いたかにみえた二八日の段階で、特別の事情の変化もないのに、発症例の極めて少ないガス壊疽を慮つて他に転医させなければならないものとは考えられない。

4  以上、被告両名に原告ら主張の過失はない。

三  患肢切断の原因

原告貞子の右下肢切断の原因は、本件事故による負傷そのものにあつたのであり、どのような意味においても、これを被告雅夫、被告健夫の処置に帰することはできない。すなわち、原告貞子の右下肢は、高圧酸素療法によりガス壊疽は止つたが、血行障害による壊死が完成したために切断せざるをえなくなつたものである。それは、重篤な組織挫滅により、当初から重篤な血行障害を来しており、それは修復不能のものであつた。もとより、ガス壊疽の発症も無関係ではなく、それにより、壊死の進行が早められ、その程度も強化された可能性もないではないけれども、根本的には右負傷自体による血行障害が不可避のものとして壊死を完成させたものであり、その傷害の程度からすれば、ガス壊疽の発症がなくても、いずれ同様の経過をたどつたはずである。

第三被告山本、被告会社、被告山田、被告寺尾の抗弁

一  過失相殺

本件事故の発生については、原告貞子にも、片側三メートルの歩車道の区別のない本件事故現場道路を漫然と歩行していたため、後方から警報器を鳴らしながら時速一〇キロメートル以下の低速で後退してきた加害車に気付くのが遅れた過失があるから、損害賠償額の算定にあたり過失相殺されるべきである。

二  弁済

被告らは、原告らが自認している分以外に、治療費、付添費等の名目で八八万三六一七円を支払つている。

第四抗弁に対する答弁等

一  抗弁事実はいずれも争う。

二  第二の、被告雅夫、被告健夫の反論における主張事実中、原告らの主張に反する部分は全て否認する。特に、同一の、1の下肢切断をすすめられた事実、4及び6の事実は、全く存在しない。

第五証拠〔略〕

理由

第一事故の発生と原告貞子の受傷

請求原因(被告山本、被告会社、被告山田、被告寺尾関係)一の1ないし4の事実は、原告らと右四被告との間に争いがなく(ただし、事故発生の時間は、後記各証拠により、午後七時頃と認める。)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一、第二号証、証人石田勲の証言及び弁論の全趣旨により原本が存在し真正に成立したものと認められる丙第七号証の一ないし四、原告貞子、被告山本各本人尋問の結果によれば、右の事実及び次の事実が認められ(なお、四の事実は原告貞子と被告雅夫、被告健夫との間に争いがない。)、これを左右するに足りる証拠はない。

一  本件事故現場付近の道路は、ほぼ南北に通じる、直線で平坦なアスフアルト舗装道路で、歩車道の区別はなく、その幅員は約七・二メートル(中央線をはさんで、北行部分が約三・七メートル、南行部分が約三・五メートル)で、その両脇には側溝(東側のそれは幅員約〇・七メートル)が設けられている(以下、南北道路という。)。南北道路の西側は、ガードレールをはさんで、京阪電車の軌道敷となつている。その東側には、衝突地点の、四〇メートルばかり南方と、五〇メートルばかり北方に、それぞれ幅員約四・〇メートル、約四・三メートルの、東方へ通じる道路があり(以下、前者を南の東行道路、後者を北の東行道路という。)、その間には、南北道路に接して、南から順に、駐車場として使用されている空地(南北の長さ約一四メートル。以下、単に駐車場という。)民家(南北の長さ約四八メートル)、三菱石油のガソリンスタンド(南北の長さ約二七メートル)がある。駐車場は、東西幅約五メートルで、その西側部分の側溝はコンクリート製の蓋で覆われ、西側に鉄柵が、東側にサーチライト式灯火器六個が設けられている。右民家の西側には、垣根の樹木が茂つており、その部分の側溝は、出入口等の一部を除き、無蓋である。右ガソリンスタンドの西側部分の側溝は鉄板で覆われている。本件事故当時、既に日は没して暗くなつており、南北道路は、ガソリンスタンドと駐車場の西側の部分は店の照明と前記灯火器で明るかつたが、民家の西側の部分は暗く、通行人があつても見えない状態であつた。なお、事故当日午後七時三五分から行なわれた実況見分の際には、天候は晴で、南北道路は乾燥していた。

二  被告山本は、加害車を運転して南北道路を南進し、左折して南の東行道路を東進しようとしたが、折柄、駐車場東端付近の南方の南の東行道路上に一台の普通乗用自動車が駐車していて同所では左折することができなかつたので、南北道路上、自車の前半分が駐車場の北端にかかる付近で一時停止した。そして、後退して北の東行道路を東進することとし、後続してきた数台の自動車をやりすごし、左のサイドミラーで後方を見たところ、その範囲内には人影が見えなかつたので、ゆつくりと後退を開始し、ついでやや加速して、右停止地点から二十数メートル後退した地点で、原告貞子の悲鳴を聞き、あわてて急制動の措置をとつた。加害車はそのまま更に数メートル後進して停車した。降車してみると、自車の右後輪の内側に人の足が見えたので、被告山本は、前進して救出する方がよいと考え、加害車を数メートル前進させて停止した。降車してみると、原告貞子が自車の後方に転倒していた。被告山本は、衝突するまで、原告貞子には全く気付いていなかつた。なお、加害車は、後退を開始すると、連動してバツクブザーが鳴り出すようになつていた。

三  原告貞子は、南北道路を南から北へ歩いていたが、南の東行道路との三叉路交差点付近にさしかかつたとき、前方から南進してくる加害車を認め、これをやりすごすべく、明るい駐車場前付近で立止つて待つていたところ、右駐車場北端にかかる付近で加害車が停止したので、歩行を再開し、停止している加害車の東側を通つてその後方に出、南北道路北行部分の中央やや西寄りを北に歩き続け、二〇メートル余り進んだところで、後退してきた加害車の右後部角付近を左肩付近に衝突され、悲鳴をあげたが、腹這いに転倒したところをその右後輪で両下肢を轢過され、更に、一たん停止して前進してきた加害車の右後輪で再度一方の下肢を轢過された。原告貞子は、衝突されるまで、加害車が後退してくることには全く気付かなかつた。

四  原告貞子は、本件事故により、両下肢挫滅創、左第七、第一〇肋骨骨折、右外傷性血胸、左肩鎖関節脱臼、右腓骨骨折などの傷害を受けた。

第二受傷後の症状と治療経過及び後遺症の残存

前掲乙第一号証、丙第七号証の一ないし四、成立に争いのない甲第三、第一〇ないし第一二号証、原告貞子本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第三ないし第六号証(同第四、第五号証については、後記措信しない部分を除く。)、同第八号証、被告雅夫本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる丙第一号証、証人上月敏の証言により真正に成立したものと認められる丙第二号証、第三号証の一ないし四、第四号証の一ないし三、第五、第六号証の各一、二、証人吉中正好、同石田勲、同渡辺健夫、同上月敏、同堀八重子、同堀登美子、同本間佐智子、同乾寿子、同浪江弘子、同山川隆男の各証言、及び、原告貞子、同薫子(第一ないし第三回)(後記措信しない部分を除く。)、被告雅夫各本人尋問の結果、並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

一  原告貞子は、本件事故により受傷し、現場付近の前記駐車場東側にある清岡産婦人科で応急措置として強心剤の投与を受けたのち、直ちに救急車で渡辺病院に搬送され、以後、昭和五〇年三月一日まで同病院に入院し、その間、被告雅夫、被告健夫の診療を受けた(原告貞子が、事故発生直後渡辺病院に搬送され、三月一日まで同病院で被告雅夫、被告健夫の診療を受けたことについては、右両被告と原告貞子との間に争いがない。)。

1  被告健夫は、事故当時午後七時二〇分頃、処置室に搬送された原告貞子を診察したところ、原告貞子は、顔面蒼白で、チアノーゼがあらわれ、出血多量のため、脈搏は触知せず、血圧は低下していて測定できず、シヨツク状態で、甚しい苦悶の表情を呈しており、その両下肢は、皮膚組織がほぼ完全に剥離し、両下肢全体にわたつて筋挫滅が認められ、両下肢の骨折、肺損傷、脊椎損傷の疑があつた。他の病院に転送すれば、途中での死亡はまず免れないものと思われたので、ビタカンフアー(強心剤)等を投与し、酸素吸入を施した後、直ちに手術場に担送した。

2  手術場の措置には、被告健夫、被告雅夫の両医師があたり、看護婦五、六名がこれを補助した。まず、直ちに酸素吸入、補液(手術場で、レオマテツクス五〇〇立方センチメートルの点滴と、六〇〇立方センチメートルの輸血が施行されている。)を開始し、下肢を動かそうとすると暴れるので、全身麻酔を施行したところ、安静となつた。

原告貞子(体重約五〇キログラム)は、意識は混濁しており、脈搏は不整で一六八、血圧は測定できず、呼吸は不規則で六八、シヨツク状態で、体温は上昇せず、チアノーゼがあらわれており、心衰弱、肺水腫が認められ、全身状態は極めて不良であつた。後記両下肢損傷のほか、全身に打撲傷があり、なお、肝臓、脾臓、腎臓の破裂、頭部外傷、腰椎骨折、右鎖骨骨折、肺損傷の疑があり、死亡の可能性も認められた。その両下肢は、右は大腿の付け根から足首までにかけて、左は大腿の中央部位から足首までにかけて、いずれも、皮膚及び皮下脂肪組織には全周にわたつて剥離があり(それは、体表面積の四分の一にも及ぶものであつた。)、筋膜の剥離も著明で、筋肉には露出、断裂、挫滅があり、創は極めて汚染状態が強く、泥にまみれ、また、筋肉の中まで泥、砂、石等の異物が混入、刺入していた。

被告健夫、被告雅夫は、血行障害が強く、創の状態からその再建再開も望めず、将来壊死の見込まれる組織もあつたこと、及び、その汚染状態にかんがみ、切断と同様の状態になるまでデブリドメントをしないと完全な異物摘出ができない状態であると判断されたこと、から、討議の結果、原告貞子の右下腿、左下肢を切断することに決定し、その準備を開始し、まず、創の洗滌にとりかかつた。

3  その頃、原告貞子の両親である原告泰雄と原告薫子が、手術場の前に到着した。そこで、被告健夫は、両親に、まず、原告貞子の全身状態、創の状態を見るよう要求したが、両親は、恐ろしいからという理由で断つたので、次に、創の状態から考えて絶対切断の適応症状であり、そうしないで破傷風やガス壊疽が発生すれば生命の危険性もあることを説明して、下肢切断についての同意を求めたが、両親は、たといそのために原告貞子が死んでもよいから切断だけは絶対にやめて欲しい、創は縫合して欲しい旨、強く要望した。そこで、被告健夫、被告雅夫は、やがて患肢が壊死に陥ればまたその段階で切断の相談をすればよいと考えて、直ちに下肢を切断することは、中止した。

4  手術は、午後七時三〇分頃、フローセンによる全身麻酔の下に開始され、被告健夫が右下肢を、被告雅夫が左下肢を担当した。まず、滅菌水で、更に一パーセントのハイアミン液(消毒液)で、両下肢の皮膚のブラツシングを施行し、下肢の原型を保存して欲しいという原告泰雄らの要望にかんがみ、完全なデブリドメントを諦めて、筋膜や筋肉に混入、刺入していた異物(主として泥、砂、石。原告貞子のはいていたブーツのかかとも、紐につながつて、右のふくらはぎの筋肉の中から出て来た。)を、できるかぎり、摘出除去し、生理食塩水による創の洗滌、ブラツシングを反覆施行し、壊死様の筋肉、筋膜、脂肪組織等を必要の限度で切除し、皮膚の創傷切除法を施行した。そして、血管の結紮により動脈性出血を止めたのち、生理食塩水による洗滌を反覆してできるかぎり患部を清浄化し、滲出する出血を止めるため、また、乾燥による壊死の進行を防止するため、そして術後の浸出液を考慮して、創を粗く縫合し、なお、排液用ガーゼを、右大腿及び下肢、左下腿に、それぞれ挿入して、午後八時四五分頃、手術を終了した。

手術後、午後九時頃、原告貞子はB三五病室に移されたが、その際の同原告の、脈搏は不整で一四二、血圧は九八ないし七二、呼吸数は六五、体温は摂氏三五・二度であつた。

5  手術後、被告健夫、被告雅夫がたてた原告貞子の治療、検査の計画(及びその一部の実施状況)は次のとおりである。なお、手術後の治療には、主として、入院患者担当の被告雅夫があたつた。

(一) 酸素テント、輸血(手術後、二月二六日午後一〇時過ぎから翌二七日昼間までの間に、合計一四〇〇立方センチメートルの輸血が施行されている。)、補液の続行

(二) 抗生物質(ケフリンを六時間毎に、ペニシリンG五〇万単位とペントレツクス〇・五グラムを各一二時間毎に、カナマイ一グラムを日に一回)(転送まで、計画通り投与されている。)、鎮静剤(適時)、強心剤(八時間毎)、破傷風トキソイド(二月二六日午後九時二〇分頃、〇・五立方センチメートルを施行)、破傷風抗毒素、ガス壊疽抗毒素の投与

(三) バルーンカテーテルの挿入、持続導尿(同日午後一〇時三〇分頃挿入)、尿量比重測定

(四) 頭蓋、胸部、腹部、腰椎、両大腿、両下腿のレントゲン撮影

(五) 心電図及び脈波(二月二七日施行)

(六) 浸出液のグラム染色による検査、適時培養

(七) 血圧、脈搏、呼吸、体温の適時測定、等々。

破傷風、ガス壊疽の抗毒素は、いずれも有効期限の関係で常備していないので、即時森宮所在の救急情報センターに連絡して手配を依頼した。

6  ついで、被告雅夫は、原告泰雄に、希望によつて下肢の切断はしなかつた、創は、できるかぎり清浄化したが、汚染が余り高度であつたので、破傷風、ガス壊疽の抗毒素を施行する、ガス壊疽が発生すれば生命が危険だから高圧酸素療法のできる病院への転医、切断の必要が生ずることも考えておかなければならない。いずれにしても最善を尽して行く、旨の説明をした。

7  二月二六日午後一〇時三〇分頃には、輸血により血圧は一一〇ないし八〇まで回復したが、両下肢の血行障害はそのまま残存し、両側とも、足背動脈は触知せず、足先部に冷感があつた。その頃、手配していた抗毒素が相次いで救急搬送されてきたので、同一一時一〇分頃テストをしたうえ同時二五分頃破傷風抗毒素六立方センチメートルを施注し、ついで、翌二七日午前〇時四〇分頃テストをしたうえ同時五五分頃ガス壊疽抗毒素二〇立方センチメートルを施注した。

8  二月二七日、被告雅夫が午後〇時二〇分頃診察した際には、原告貞子は、意識は傾眠状態であり、創に捻髪音はなく、ガーゼを交換したところ、創から血性の浸出液があつた(グラム染色による検査の結果、グラム陽性の桿菌は認められなかつた。)ので、縫合を抜糸して消息子を挿入してみたが、泡沫、気泡も認められなかつた。なお、両足の足背動脈は触知することができなかつた。

9  同日午後三時一〇分頃、被告雅夫が立会つて、技師山川隆男が、ポータブル機械器具を用いてレントゲン撮影を実施しようとしたが、まず胸部の撮影をするため、同部位の下にフイルムカセツトを入れようとして原告貞子の位置を動かしたところ、同原告は、痛みのため暴れて、冷汗を発し、シヨツク状態となつた(血圧八〇ないし六〇、脈搏一六二、呼吸五二)ので、撮影を中止し、輸血中の血液残約一〇〇立方センチメートルを急速注入した。原告貞子は、同三時三〇分頃、安静となつた(脈搏一四八整、血圧一〇〇ないし七二、呼吸四三)。同一一時四〇分頃重症回診の際、被告雅夫は、確かではないが、原告貞子の左足先部が暖かいように感じた。

なお、同日中の原告貞子の、体温は三六・八度から三八・九度までの間を、脈搏は右シヨツク時を除けば一二〇から一五四までの間を、上下している。

10  二月二八日、原告貞子は、応答はほぼ確実となつたが、なお傾眠状態であり、全身状態はなお不良であつた。被告雅夫は、同日朝出勤直後の診察の際、左の足背動脈を触知したように感じた。左足先部は暖かく、右足先部も、冷感であるが、生暖かいように感じた。同日午後〇時二〇分頃の回診時には、ガーゼを交換したが、創にブロンズ様変色はなく、捻髪音、泡沫も認められなかつた。グラム染色検査をしたが、浸出液にグラム陽性の桿菌は認められなかつた。同一一時五〇分頃の重症回診の際には左足背動脈を触知した。

なお、同日中午後一一時までの原告貞子の、体温は三六・八度から三九・〇度までの間を、脈搏は一二二から一四八までの間を、上下している。

11  三月一日、原告貞子は、応答は殆んど確実であるがなお傾眠状態であり、その全身状態は、なお不良であつた。同日午前五時四〇分頃強心剤を投与した被告健夫は、原告貞子にガス壊疽の症状を認めていない。

被告雅夫は、同日午前八時半頃出勤直後に診た時には気付かなかつたが、同一一時三〇分頃の回診でガーゼを交換する際、不快な甘いような臭いに気付き、なお、右下肢には全般に腫脹があり、創の皮膚、特に右大腿部にブロンズ様変色を認めた。なお、消息子を挿入したところ、創より薄い褐色の浸出液が流出し、泡沫、捻髪音が認められ、左下腿にも同様の所見が出現していたので、ガス壊疽が発生したものと診断した。直ちにペニシリンG一〇〇万単位を投与し、排液用ガーゼを除去して先端部浸出液を検鏡したが、両側ともグラム陽性の桿菌は認められなかつた。

12  被告雅夫は、直ちに被告健夫にガス壊疽が発症したことを連絡し、ついで、原告泰雄に、その旨を告げ、創を開放し高圧酸素療法の設備のあるところへ急移送しないと生命の危険があることを説明したが、原告泰雄は、相談するから知人の医師が来るまで待つて欲しい、といつて、即時転医を肯んじなかつた。

13  渡辺病院側としては、患者側の了解を得たうえで転医させたいと考え、待つ間の次善の策として取敢えずガス壊疽抗毒素血清の手配をし(結局、入手することができなかつた。)、ついで、午後一時過ぎ頃には、原告貞子の転医につき阪大特殊救急部の了解を取付け、なお原告泰雄に拒まれて午後三時頃まで待つたが、遅くとも午後四時過ぎ頃までには到着されたい旨(当日は土曜日で、遅れると要員確保がむずかしくなるという事情があつた。)の阪大病院側の要望との関係もあつて、ついに待ち切れず、転医を強行すべく、救急車の出動を要請した。

救急車は午後三時一二分頃渡辺病院に到着したが、その直後に、原告泰雄、原告薫子が伝手を求めて来診を依頼した大阪市立大学勤務の医師吉中正好が来院した。吉中医師は、原告貞子の傍に寄り、その顔色を一見しただけで非常な重症であると判断し、阪大特殊救急部に転医させると聞いて、原告薫子に、それが最良の手段である旨を告げ、原告貞子の傷口を診ることもないまま、直ちに引上げた。同医師は、その際、原告貞子の創傷の異臭については、特に取立てて言う程の記憶を残していない。

被告雅夫に付添われて原告貞子が阪大特殊救急部に到着したのは、同日午後三時五〇分頃である。

なお、同日午後三時頃までの原告貞子の、体温は、午前三時の三六・七度から、同四時三六・八度、同六時、八時三七・六度、同一〇時三八・八度、正午三九・三度と徐々に上昇し、以後下降して午後二時には三七・六度となつており、脈搏は一二二ないし一五〇の間を上下している。

二  原告貞子の転送を受けた阪大特殊救急部では、医師石田勲が主治医となり、医師藤本某が副主治医となつて、その診療を担当した。

1  転送直後、医師石田らが診察したところ、原告貞子は、両下肢に大きな挫創があり、異常に強い腐敗臭を発していた。創は、一次的縫合を受けていたが、その皮膚は、大半が暗赤色(一部は真黒)を呈し、壊死に陥つており、縫合部の縫い目から少しガスが見られ、捻髪音により、深部のガス発生が推測された。左下肢には温感があつたが、右下肢は動脈を触知することができず、冷感があつた。抜糸して創部を開放すると、悪臭を伴う滲出液の貯溜が認められ、右大腿より足関節までの皮膚は、完全に遊離しており、右下腿筋は、色悪く、出血は殆んど認めなかつたが、血行障害があつて、壊死に陥りつつあり、生活力を回復する見込みはなく、おそらくは切断を免れないものと予想される状態であつた。創内に、明らかな異物は認められなかつた。

レントゲン撮影の結果、右股関節より足関節まで及び左下腿の軟部組織にガス像が認められ(なお、左腓骨上部に骨折、左外傷性血胸、左第七肋骨骨折が確認された。)、両下肢ガス壊疽(右は骨盤部より足関節まで、左は下腿)と診断された(細菌培養の結果、三月八日に、ガス壊疽の病原菌が確認されている。)。

創部の処置としては、過酸化水素水で洗滌し、壊死に陥りつつある組織は、全部ではないが、かなりの部分(右下肢については、約三分の一を残して、その余)を切除し(証人石田勲は、右切除後の状態では、右下肢は、切断せずに済んだとしても、関節機能を全く廃絶する旨、証言している。)、ペニシリンGの局所散布を行ない、午後七時過ぎ頃から、高圧酸素療法を施行した。

2  原告貞子は敗血症に近い状態であり、非常に衰弱していたので、石田医師は、原告泰雄、原告薫子に対し、生命の危険があること、また、やむをえず下肢を切断することになるかもしれないこと、を説明した。

3  石田医師らが、計画し、三月二日以後に実施した原告貞子の治療は、おおよそ次のとおりである。

(一) 高圧酸素療法 日に二回(三気圧、二時間)(三月五日からは、日に一回となつている。)

(二) 抗生物質 ペニシリンGを一日四〇〇〇万単位静注、クロマイ一日三グラムを筋注(三月五日からは、ペニシリンGを一日二〇〇〇万単位、ケフリンを一日一二グラムに変更)

(三) 創部は、二日に一回洗滌し、ペニシリンG一〇〇〇万単位を散布する。

(四) 輸血

(五) 肝機能、血糖、ヘモグロビン尿に注意する。

(六) 下肢に酸素テント

4  三月二日には、原告貞子は、昨日より楽になつたといい、見た目にも顔色がよくなつてきたが、翌三日になつても、一般状態には著変はなかつた。

三月六日、右下腿(膝を含めて)の筋肉の生活力の回復は全く期待できない状態になつたので、その切断が必要であることが、原告貞子に告げられた。同原告は、切断に対して思い切れない様子であつた。なお、原告泰雄、原告薫子は、阪大病院入院の当初から、再三にわたり、何とか足を切断しないでもらいたい旨の要望を繰返していた。しかし、翌七日には、右膝下部は完全に壊死の状態となり、原告らも、ようやく右下肢の切断を了承するに至つた。

5  三月一〇日午後、原告貞子の右下腿を坐骨結節より約一五センチメートルのところで切断する手術が施行された。

三  その後、原告貞子は、昭和五〇年四月七日、同月一四日に植皮術同月二一日に肩鎖関節脱臼観血整復固定術を受け、同年五月六日に特殊救急部から普通の病室に移り、そのまま昭和五一年二月二六日まで阪大病院に入院した。更に、日常生活において右大腿断端部にしばしば皮膚損傷をきたしたため、昭和五一年七月二〇日、再度同病院に入院して同月二九日に断端部の瘢痕の一部を切除する手術を受け、同年八月一四日に退院した。結局、ガス壊疽は治癒したが、原告貞子には、併合して自賠法施行令別表後遺障害等級第三級に該当する右大腿切断(第四級第五号)、左下肢の足関節の機能障害(第一〇級第一〇号)の各後遺障害が残存した。

ところで、前掲の、丙第七号証の二(阪大病院カルテ)には「二月二八日創部の悪臭、浮腫、腫脹、捻髪音、握雪感に気付き、ガス壊疽の疑いにて当科に搬送される」との記載があり、甲第三号証(石田勲作成の阪大病院特殊救急部治療経過の記載)にも同趣旨の記載があり、丙第七号証の一(阪大病院外来カルテ)及び四(同看護記録)には、いずれも、「二月二八日悪臭に気付き、三月一日、同部の浮腫、腫脹、握雪感を認め、ガス壊疽と診断し、当科に」転送された旨の記載がある。しかし、証人石田勲の証言及び被告雅夫本人尋問の結果によれば、石田医師は、原告貞子が転送されてきた際、被告雅夫ら渡辺病院側から発症に至るまでの経過の説明を受けたことはなく、右丙第七号証の二及び甲第三号証の各記載は、石田医師が、ガス壊疽の通常の症状からすれば、二八日には既にある程度の徴候が出ていたはずであるとの推測に基づいて記載したものであり、他方、右丙第七号証の一の記載は、阪大特殊救急部の医師岡田某が記載したもの、同四のそれは右同一の記載を転認したものであるところ、ガス壊疽の症状の進行状態は千差万別であり、石田医師としても、ガス壊疽について特別に研究をしたわけでもなく、また、それまでにガス壤疽患者を診療した経験を有するわけでもなかつたのであつて、右岡田医師のした記載が間違つているということができるだけの根拠を有するものではないこと、が明らかであり、なお、右丙第七号証の一の悪臭に関する記載の経緯は必ずしも明らかではないが、前後の事情から考えて原告泰雄らの説明に基づくものである可能性も認められるので、前記各書証の記載があるからといつて、さきの認定が左右されるものではない。

次に、原告薫子本人の供述(第一ないし第三回)及び前掲乙第四、第五号証(本件事故にかかる刑事事件における原告泰雄、原告薫子の証人速記録)の各供述記載中には、重要な点において多く右認定と顕著に相違するものがある。それは、要するに、原告薫子は二月二六日夜から三月一日の転医まで眠らずに付添看護をしていたが、その間、被告健夫、被告雅夫は、およそ診療らしい診療はしておらず、原告らの訴えはまるで取上げてくれなかつたし、ガス壊疽については一切言及したことはなく、下肢切断の同意を求められたことはないというものである。しかし、証人渡辺健夫の証言及び被告雅夫本人尋問の結果によれば、被告健夫は、第二次世界大戦末期に学生時代を過ごし、その頃相当数のガス壊疽の症状を目撃しており、また、被告雅夫は昭和四二年まで阪大病院第一外科に勤務していたものであつて、その間にガス壊疽患者を見る機会もあつたし、阪大病院では昭和四一年頃から高圧酸素療法を施行していたので、同療法がガス壊疽の治療に役立つものであることをよく知つていたことが認められ、また、渡辺病院が、本件事故当夜、緊急手配をしてガス壊疽抗毒素を入手し、なお三月一日にも、吉中医師の来院以前に、ガス壊疽抗毒素入手の手配をしていることは、渡辺病院側の関与しないところで作成された前掲丙第三号証の一ないし四、第五号証の一により明らかであつて、これらの事実から、被告健夫、被告雅夫が当初からガス壊疽の発症を懸念し、これに対して注意しながら原告貞子の診療にあたつていたものであることは容易に推認されるところ、そのような態度でこの種創傷により重篤な症状を呈している患者の診療にあたる外科医が、右原告らの供述、供述記載にあらわれたような診療に終始し、原告らにガス壊疽の懸念、更にはその発症を全く告げないなどということは、到底考えがたいところであり、なお、その供述等は、原告らの申請にかかる証人吉中正好の証言とも重要な点において大きく喰違つていることをも合せて考えれば、右原告らの供述、供述記載は、到底措置することができないものであるというほかはない。

そして、他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。

第三被告山本、被告会社、被告山田、被告寺尾の責任

一  さきに第一で認定した事実によれば、被告山本は、後方の安全を十分確認して後退すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と加害車を後退させた過失によつて本件事故を発生させたものであるから、同被告には、民法七〇九条により、原告らに対し、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

二  本件事故当時被告寺尾が加害車を所有していたことは原告らと被告会社、被告山田、被告寺尾との間に争いがなく、被告山本が被告寺尾の従業員であり、本件事故は被告寺尾が被告会社より依頼を受けてその製品を被告山本に命じて運搬させていた際に発生したものであることは、被告会社、被告山田、被告寺尾の自陳するところである。そして、右事実と、成立に争いのない乙第一、第二号証、原告貞子、原告薫子(第二回)、被告山本、被告寺尾各本人及び被告会社代表者岸本次太郎(後記措信しない部分を除く。)各尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事業が認められる。

1  被告会社は、ベニヤ、金属、スレート等の塗装の請負を業とする株式会社であるところ、顧客(大阪市内のほか、遠くは福井、和歌山方面に及んでいる。)から供給される素材の引取及び仕上つた製品の顧客への納入のための運送業務を必要とし、そのために四トン半の貨物自動車三台を所有していたが、なお、不足分を補うため、かねてから、随時、運送業者に右の運送業務を委託していた。本件事故当時における主たる委託先は、被告山本及び丸宮運送の二業者であり、対価としては、運送距離によつて定められる運送賃を、一か月一回(二〇日締切りの翌月二〇日支払)にまとめて支払つていた。

2  加害車は、被告寺尾が運送業務を営むために購入し、昭和四九年九月頃、被告山本に代金(合計二〇〇万円)割賦払で、所有権を留保して売渡したものであり、本件事故は、被告山本が、加害車を運転して、依頼を受けて被告会社の製品を運搬していた際に発生したものである。

3  被告寺尾は、加害車を、代金割賦払で買受け、その全額を自ら支弁して完済し、自ら契約者となつて強制保険、任意保険に加入したが、大阪市内で車庫証明を得ることができなかつたので、これを得る関係で、その自動車登録、検査証の交付を受けるにあたり、京都の広い居宅に居住している自己の嫂の父である被告山田に、所有者名義を借用した。そして、加害車を被告山本に売渡す前の約一年間、友人の紹介で、これを用いて被告会社の仕事に従事していた。その間、右の仕事は、前々日ないし前日に依頼するという形で行なわれていたが、被告寺尾は、当初の一時期には他からの運送業務を行なつていたこともあつたけれども、その後半には、毎日のように仕事があつたので、殆んど被告会社の仕事のみに従事し、これにより、月間約四〇万円の水揚げを得ていた。ところが、健康を害して運送事業ができなくなつたので、被告山本に、それによる運送の仕事を斡旋することを条件に加害車を売渡し仕事先として被告会社を紹介して、自分は運送事業をやめた。

被告寺尾は、右売渡後は全く加害車を運転していないが、被告山本がこれを用いて行なう運送業務によつて得る収入から加害車の割賦代金の支払を受け、なお自ら契約した保険契約をそのまま被告山本に利用させる関係もあつて、対外的には、被告山本を、自己の従業員であると称していた。

4  被告山田は、被告寺尾が加害車を購入した当時、繊維関係の会社の嘱託をしていたが、自らは自動車の運転をすることはできず、運転免許を取得していないものであつて、前記3のような経緯で被告寺尾に所有者名義を貸与したほかは、加害車とは全く無関係である。

5  被告山本は、従前は電気工見習をしていたものであるが、仕事を斡旋してもらうことを条件に被告寺尾から加害車を買受け(登録名義等はそのままにし、保険契約も切替えなかつた。)、被告寺尾の紹介で、被告会社の仕事に従事した。被告山本は、それまで運送業務の経験が皆無であつたところから、被告会社以外からの仕事に従事したことはなく、仕事の有無にかかわらず、毎日、一たんは被告会社に赴き、仕事があるかぎり、荷物や行先等につき被告会社の配送係の指示を受けて、その製品等の運送の仕事を行なつていた。当初の一か月位は仕事のない日もかなりあつたが、昭和四九年一〇月頃から本件事故までの約五か月間は、殆んど毎日のように仕事があり、月平均約五〇万円の水揚げを得ていた。そして、その中から、被告寺尾に対する加害車の割賦代金や、被告寺尾名義で支払う保険料等を支弁していた。

なお、本件事故後、被告会社の従業員で部・課長の肩書を有する西村某及び岡部某が原告貞子を病院に見舞つており、また、被告山本は、被告会社の関連会社に倉庫係として雇用され、数か月間働いている。

右認定に反する被告会社代表者岸本次太郎の供述は他の証拠との対比において措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  右二で認定した事実によれば、

1  被告会社と被告山本との間には、被告会社の運送業務の執行につき、使用関係があるのと同視すべき指揮、従属の関係が存在し、本件事故は、被告山本が被告会社の右業務の執行として加害車を運転中に発生させたものと認めるのが相当であるところ、前述のように、本件事故は、被告山本がその過失によつて発生させたものであるから、被告会社には、民法七一五条一項により、本件事故によつて原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

2  被告寺尾は、加害車の運行を支配しその利益の帰属する地位にあつたものと認めるのが相当であるから、被告寺尾には、自賠法三条により、本件事故によつて原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

3  被告山田は、車庫証明取得の便宜を図つて、被告寺尾に、加害車の購入に際して所有者名義を貸与したにすぎず、加害車に対して運行支配、運行利益を有していたものとは認めがたい。したがつて、原告らの被告山田に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

第四被告雅夫、被告健夫の責任

一  被告雅夫、被告健夫が渡辺病院において医師として医療行為に従事しているものであることは、原告貞子と右両被告との間に争いがないけれども、証人渡辺健夫の証言及び被告雅夫本人尋問の結果によれば、渡辺病院は被告健夫が個人で経営する病院であつて、被告雅夫は被告健夫に雇用されている勤務医にすぎないことが明らかであり、また、さきに第二の1で認定したように、原告貞子は、渡辺病院において被告雅夫、被告健夫の診療を受けていた間、意識混濁の状態ないし傾眠状態にあつたものであつて、意思表示のできる状態ではなかつたことが明らかであるから、原告貞子と右両被告との間に同原告主張の診療契約が成立していたものと認めることはできない。そして、他に、右両被告の原告貞子に対する診療が診療契約に基づくものであることを認めるに足りる事実の主張立証はない。したがつて、右両被告に対する原告貞子の債務不履行を理由とする請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当である。

二  前掲乙第三、第六、第八号証、被告雅夫本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる丙第八号証の一ないし三、第一〇号証の一ないし五、証人石田勲、同渡辺健夫の各証言によれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  ガス壊疽の病原菌は、大部分が嫌気性グラム陽性桿菌のクロストリデイウムであり、各地の土壌中や人体内にも存在するが、創面にこれが存在することが直ちにガス壊疽の発症につながるわけではなく、その発症の可能性はむしろ非常に少ない(したがつて、外科医として相当の経験のある人でも、ガス壊疽の症例を取扱つた経験のある人は少ない。)。それは、創面が非常に汚染されており、汚染された異物が筋肉の深部に存在し、局所の血行障害が非常に強く、全身状態が不良である、といつた条件が重なつたような場合に、発症する。

2  ガス壊疽の発症は非常に急激で、症状過程の進行も非常に早い。潜伏期間は、三日以内が普通で、大多数は受傷後二四時間以内に発症するが、記録としては、一時間から、六週間に至るものまでが存する。局所症状としては、患部の激痛、腫脹、浮腫に始まり、更に進行すると、皮膚面の水泡化や、皮膚、筋肉の変色、漿液血性の悪臭を伴う排液などが認められる。また、触診における捻髪音、握雪感は特徴的である。マクレナン(丙第八号証の三の著者。丙八号証の三は、阪大特殊救急部のスタツフによる丙第八号証の一、外傷外科学にも引用されている。)は、大多数の場合、独特の甘いような臭いがあり、それはガス壊疽特有のものではないが、それを疑わせるに十分なものであると述べている。全身症状としては、発熱、頻脈などの炎症症状、更に進行すると、外毒素による溶血、黄疽、高ビリルビン血症、ヘモグロビン尿や、ついには血圧低下から、死に至る。

3  ガス壊疽の病原菌の分離同定は、短時間では不可能である(少なくとも一二時間かかり、これに頼つていると処置が間に合わなくなる。マクレナンは、その同定につき、非常に簡単で有益な情報を得る方法として創からの滲出液等をグラム染色して検鏡する方法を挙げている。)から、その診断は、主として臨床症状、就中、先述の局所症状によつて行なうことになるが、それは、初期の段階ではかなり困難である。レントゲン撮影によるガス像の証明は、有力な手段ではあるが、ガスは他の原因によつても生ずるから、ガスがあつたからといつて直ちにガス壊疽であると診断することができるわけではない。結局、その確定は、菌の発見を待つことになる。

4  ガス壊疽に対しては、まず、予防が重要である。それには、受傷直後の創傷処理において、嫌気性菌の増殖に好適な、血行を失い、壊死に陥つた組織を十分に除去することが大切である。もつとも、デブリドメントを要するような創傷の場合、生活力のない組織片を全く残さないようにすることは、まず不可能であるし、また、初療が完全であれば絶対にガス壊疽は発症しないといいうるわけでもない。

5  なお、異物摘出、消毒が十分に行なわれていないような場合には、深部の細菌繁殖を防止するため、開放創にしておくことが望ましいが、反面、大きな血管以外からの出血は縫合による軽い圧迫で止めることができること。開放創にしておくと治療期間も延び、創傷自体も汚染されること、近時は万一の際の緊急搬送がかなり完備していること、などから、今日では、創は縫合するのが通常で、開放創にしておくことは少なくなつてきている。もつとも、創部を縫合したときは、炎症が起つた場合に直ちに抜糸して膿の出口をつけることができるよう、常に患部の点検を怠らないようにする必要がある。

6  発症したガス壊疽に対しては、高圧酸素療法が行なわれる以前は、抗毒素血清の投与と応範な創傷部切除、特に患肢の切断が、最良の治療法であつた。今日でも、壊死組織の除去は不可欠の処置であるが、まず高圧酸素療法を行ない、抗生物質を投与して、組織の健康な部分はなるべく残し、更に、患肢の切断は壊死が決定的となるまで行なわないのが、最近の傾向である。

7  もとより、右6の点は、ガス壊疽の治療法に限つた場合にいいうることであつて、血行障害が著しくて血行再建が望みうべくもないとか、断裂した神経の縫合ができないなど、傷害の状態、程度から、直ちに受傷肢切断の適応と認められる場合があることは、別問題である。

8  高圧酸素療法がガス壊疽に対して有効であることは、その病原菌が嫌気性菌であることから容易に想像されるが、その作用は、殺菌作用ではなく、菌の繁殖、活動を抑制する作用であるといわれており、したがつて、この療法は、繰返して行なうことと、適当な抗生物質を併用する(ペニシリンの大量投与を中心とし、これに抗菌スペクトルの広い抗生物質を用いる)ことが、効果を十分に発揮するために必要である、既に産出された菌体外毒素そのものに対しては一般に無効であり、予防的効果はない、と考えられている。なお、この療法に要する施設は非常に高価なものであり、本件事故発生当時、関西でこれを備えているところは、せいぜい五か所程度であつた。

9  マクレナンは、経験、調査、報告に基づいて、ガス壊疽抗毒素には、治療的効果がある、予防的効果が明らかであるとの証明もかなりある、また、その投与により潜伏期間が大幅に延びたとみられる事実もある、と述べているが、最近では、右抗毒素には治療的効果がないという説が有力となつてきており、高圧酸素療法が臨床的に利用されるようになつてからは、その副作用をも考慮して抗毒素血清を使用しない傾向にある。もつとも、反対説もあり、石田医師も、高圧酸素療法の施設のないところや、そのあるところへの搬送までの期間における抗毒素の使用を肯定すべきものとしている。

10  昭和四八年九月発行の「外傷外科学」には、阪大特殊救急部が昭和四二年八月から昭和四七年一二月までに取扱つたガス壊疽五症例につき、高圧酸素療法と抗生物質の投与により、三例は受傷肢の残存に成功したが、他の二例(うち一例には糖尿病の合併があつた。)は患肢切断の転帰をとつた旨の記載がある。同部は、発足以来約一〇年の間に約二〇例のガス壊疽症例を取扱つたが、死亡に至つたのは一例程度で、全症例の二、三割は患肢を切断している。

本件にあらわれた立証からみるかぎり、右以外に我が国においてガス壊疽に高圧酸素療法を施行した症例の報告はない。そして、昭和五〇年頃までに発行された医学雑誌に登載された我が国におけるガス壊疽の症例報告にあらわれたところでは、その発生原因は、大半は開放性骨折あるいは強度の挫滅創であるが、一割程度の例では、虫垂炎切除術や泌尿器科手術等の施術後に発生をみている。その大多数にガス壊疽抗毒素血清が投与されており、腹腔内に発生または波及した症例では死亡に至つているものが多く、患肢切断の転帰をとるものが、相当高率に及んでいる。

三  そこで、前記第二の一、二及び右第四の二で認定した事実関係に基づき、被告雅夫、被告健夫の不法行為責任の成否について検討する。

1  まず、原告貞子は、右両被告には、ガス壊疽防止のために必要な徹底的な患部の洗滌、消毒、異物の摘出の施行を怠り、しかも、開放創にしておくべきところを縫合してしまつた結果、ガス壊疽を発症させた過失がある、と主張する。

たしかに、右両被告は、完全なデブリドメントをしておらず、手術後に創部を縫合している。しかし、そこには、下肢の切断はしないで、創部は縫合して欲しい旨の患者の両親の強い要望があつた。

医師には、必要な治療措置は患者側にその必要性を理解させるに足りる説明をしてこれを施行することを勧告すべき義務があると解されるが、他方、下肢切断手術のような医療行為は、これを行なわなければ患者の生命に差迫つた危険があるというような場合は別として、患者又はこれに代るべき者の承諾のないかぎり、これを施行することは許容されないものと解される。

本件の場合、ガス壊疽の予防という観点からみるかぎりは、完全なデブリドメントをなすべきであり、原告貞子の全身状態、創の状態にかんがみ、その発症の条件が相当までそろつていたといえるから、その必要性は比較的大きかつたといえる。しかし、発症した場合の危険性が大きいとはいえ、一般的にはガス壊疽発症の可能性は非常に少なく、しかも、それは、完全な初療によれば完全に予防しうるというものでもない。

ところで、右両被告は、両下肢切断の適応症状であると診断して原告貞子の両親にその同意を求めたのであるが、結果において左下肢の切断を免れているところからみれば、右の診断は、いささか安易にすぎたとの感を免れないと考えられないでもない。しかし、それは、ガス壊疽の通常の潜伏期間、症状過程の進行速度を考え、原告貞子の全身状態が極めて不良で、即時転医による高圧酸素療法の施行を期待することができない状態のもとでなされたものであることを考えれば、到底誤診といい切れるようなものではない。そして、その背後には、血行障害と創の汚染状態から、完全なデブリドメントを行なえば、下肢切断と同様の状態になつてしまうという判断があつた。これに対して、右両親の要望は、他方に、原告貞子の全身状態が極めて不良であるため、ガス壊疽とは全く無関係に死亡の可能性もある、という事情のもとに、娘の五体を満足に維持させておいてやりたいというものである。

以上の点を考えれば、右両被告が、ガス壊疽発症についてのある程度の危険は覚悟のうえで、右患者の両親の要望を容れ、万一の場合における高圧酸素療法の施行できる病院への転医を考慮しつつ、実質的には両親の切望を無視する結果となる完全なデブリドメントを諦めたからといつて、当時の外科医学界における水準的知識技術をもつてこの種創傷の診療にあたる医師としての注意義務を怠つたものであるということはできない。

なお、阪大特殊救急部に転送された直後の措置の際、創内に明らかな異物は認められなかつたことからすれば、患部の洗滌、消毒、異物の摘出は、それなりに、十分なされていたものと推認されるところであり、また、今日におけるこの種創傷の取扱いの実情(前記第四の二の5)に徴すれば、両親の要望もあつて創傷を縫合した措置をもつて、右医師としての注意義務を怠つたものであるということはできない。

以上、ガス壊疽の発症につき、被告雅夫、被告健夫に原告貞子主張のような過失があつたものと認めることはできない。

2  次に、原告貞子は、右両被告には、原告貞子の渡辺病院入院中に、その症状を正確に把握するに足りる回診をせず、また、原告らの訴えを全く取上げようとしなかつた結果、自らはガス壊疽の発症にすら気付かず、その治療に必要な転医の時期を遅延させ、原告貞子の右下肢切断という重大な結果を招いた過失がある、と主張する。

しかし、渡辺病院入院中における右両被告の原告貞子に対する診療の経過及び原告貞子が阪大特殊救急部へ転医するに至る経緯は、さきに第二の一で認定したとおりである。

そして、なお、

(一) 前掲丙第一号証、証人渡辺健夫の証言及び被告雅夫本人尋問の結果によれば、被告雅夫は、渡辺病院において、入院患者の外科治療を担当しているが、担当患者のうち、重症患者に対しては、出勤直後にまず診て回り、ついで重症回診をし、更に、午後に普通回診、夜に入り重症回診と、日に四回の回診をし、その間、特に患者側からの訴えがあればその都度診に行く、というのがその日常の業務の過程であること、被告健夫は、主として外来患者の外科診療を担当しているが、渡辺病院の建物の四階に居住していて、入院患者に急用があれば、夜間であつてもこれに応じうる態勢がととのつていること、渡辺病院では、強心剤、鎮痛剤の投与は、それによる危険を考慮して、原則として医師が行なうことにしていること、麻薬は被告健夫以外は麻薬保管庫から持ち出すことができないようになつていること、そして、原告貞子に対しては、オピスタン(麻薬)のみを取上げてみても、二六日の午後一一時、二七日は午前〇時、午後二時、九時、二八日は午前二時、九時半、午後一一時一〇分に、各投与されていること、が認められる(右認定に反する原告薫子本人の供述及び乙第四、第五号証の記載は措信することができない。)のであつて、これらの事実に右各証拠をあわせて考えれば、右両被告の原告貞子に対する回診は、その主張のように少ないものではなく、そして、当初からガス壊疽の発症を懸念していた右両被告は、その都度、ガス壊疽発症の徴候を見逃すことのないように注意していたものと認められる。

(二) 原告薫子本人の供述(第一ないし第三回)及び前掲乙第四、第五号証の供述記載中には、二月二六日昼頃から原告貞子の患部に魚の腐つたような臭気が生じ、翌二八日の昼の回診時には、被告雅夫がピンセツトで傷口を突いたらガスのぷすつという音がして、更に強く同様の臭がしたので、二七、二八の両日とも、被告雅夫に、何の臭か、と聞いたが、同被告は、中の黴菌が外に出て来るからだと説明しただけで、それ以上は取上げてくれなかつた、旨の部分があり、乙第七号証にもこれにそう記載があるが、(被告雅夫本人は、そのような事実は記憶がないという。)、右被告両名や看護婦等がその時点で異常な臭気に気付いていた形跡はなく、他方、原告貞子の創傷の状態からすれば、相当程度の腐敗臭があつても特に異とするに足りないものと思われること、及び、ガス壊疽の症状過程の進行が非常に早いことにかんがみれば、右供述等のうち、傷口を突いたらガスの出る音がしたとの部分は措信しがたく、また、その余の部分により、既にその時点で原告貞子の患部にガス壊疽特有の臭気が生じていたものと認めることはできない。

(三) 原告貞子の場合には、全身に各種の損傷の存する疑があつたのであるから、レントゲン撮影を実施するにつき、まず胸部からはじめようとしたことを責めることはできない。そして、ガス壊疽発症の監視という観点からすれば、患部につき、かなり頻繁にレントゲン撮影をすべきであるということになるが、それによるガス像の証明が唯一のガス壊疽発症の診断の手段であるわけでもないのであるから、その余の局所症状に対する十分の監視がなされている以上、原告貞子の全身状態等との関係でこれを施行しなかつたことをもつて、直ちに右医師としての注意義務を怠つたものとはいえない。

(四) 前記認定の事実関係及び前掲乙第三号証によれば、渡辺病院側が三月一日に原告貞子を阪大特殊救急部に転医させたのは、ガス壊疽の発症により、放置すれば生命にかかわるところから、危険を承知のうえでしたことであり、当日には既に転医に危惧を感じないところまでその全身状態が好転していたというわけではないことが明らかである。このような原告貞子の全身状態にかんがみ、ガス壊疽の発症の可能性が非常に少ないこと、及び、高圧酸素療法はその予防には用いえないものであること、を考えれば、ガス壊疽発症の診断後はじめて転医させようとした被告雅夫らの措置に、右医師としての注意義務違反があつたものということはできない。

そして、前記第四の二の2及び3の認定事実に照してこれをみれば、被告雅夫は、その診断を可能とする徴候があらわれてから間もなく、原告貞子に発症したガス壊疽に気付いたものというべく、少なくとも、その発見が遅れたということはできない。

以上、ガス壊疽発症の発見及び転医に至る診療経過等につき、被告雅夫、被告健夫に原告貞子が主張するような過失があつたものと認めることはできない。

3  そうすると、原告貞子の右両被告に対する不法行為を理由とする請求も、その余の点につき判断するまでもなく、失当である。

第五損害

(原告貞子の損害)

一  既に述べてきたところからすれば、原告貞子にガス壊疽が発症したこと及び前記の後遺障害が残存したことは、本件事故によるやむをえない結果であるといわざるをえない(渡辺病院から阪大特殊救急部への転医が二時間ばかり遅れたことは、右結果にさしたる影響を与えるものではなかつたものと推認される。)。

二  治療関係費 四五万五七〇〇円

1 入院付添費 六万八〇〇〇円

原告貞子、原告薫子(第一ないし第三回)各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、さきに認定した原告貞子の入院期間中、完全看護で家族が付添う余地のなかつた阪大特殊救急部入院中を除くその余の期間、原告泰雄、原告薫子ら近親者が原告貞子に付添つた事実が認められるが、他方、阪大病院入院中は、被告山本の費用負担において職業的付添人が付されており、病院側から、これに加えて更に近親者の付添を必要とする旨の指示があつたわけでもないことも、明らかである。もつとも、前記認定の原告貞子の症状及びこれに対する治療の実情に照らせば、阪大病院における、特殊救急部から普通の病室に移つた直後の二〇日間及び右大腿断端部の瘢痕切除術施行前後の一〇日間程度は、更に近親者の付添看護が必要であつたと推認される。そうすると、右三〇日間及び渡辺病院入院中の四日間の合計三四日間の付添費用相当額、一日二〇〇〇円の割合による六万八〇〇〇円は、本件事故によつて生じた損害と認められる。右金額を超える部分については、本件事故と相当因果関係がないものと認める。

2 入院雑費 二七万四四〇〇円

原告貞子が合計三九二日間入院したことは前記認定のとおりであり、右入院期間中、一日七〇〇円の割合による合計二七万四四〇〇円の入院雑費を要したことは、経験則上、これを認めることができる。右金額を超える部分については、本件事故と因果関係がないものと認める(前掲甲第五号証には、昭和五〇年二月二六日から同年一一月三〇日までの間に、原告貞子の入院諸雑費として合計一七四万四八九八円の支出をした旨の記載があるが、そこには、相当多額の、医師、看護婦に対する謝礼、近親者その他の者の往復等のためのものと思われるタクシー代等の交通費や、祈祷師、弁護士に対する謝礼、大学の月謝等まで計上されており、また、食糧品購入代金等も、病院の給食のある一患者の栄養費としては多過ぎると思われるものが計上されている等、の問題があり、到底その全てを本件事故と相当因果関係のある入院諸雑費と認めることはできない。)。

3 通院交通費 六万一八〇〇円

原告貞子、原告薫子(第二回)各本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したものと認められる甲第九号証によれば、原告貞子は、昭和五一年二月二七日から同年七月一九日までの間、主として歩行訓練を受けるため、週二回ないし三回の割合で少なくとも五〇回、阪大病院に通院したが、その際、なお一人では歩行が困難であつたため、原告泰雄、原告薫子、あるいは原告貞子の妹の付添を必要とし、なお、原告泰雄が付添つたときは自家用車で通院したが、その余の場合(その回数は定かでないが、少なくとも三〇回は下らないものと推認される。)は、往復ともにタクシーを利用し、一往復二〇六〇円(三〇回分合計六万一八〇〇円)の交通費を必要としたことが認められる。右金額を超える部分については、これを認めるに足りる的確な証拠がない。

4 通院付添費 五万円

右3で認定した事実及び経験則によれば、原告貞子は五〇回の通院付添を要し、一日一〇〇〇円の割合による合計五万円の損害を被つたものと認められる。右金額を超える部分については、本件事故と相当因果関係がないものと認める。

5 診断書代 一五〇〇円

前掲甲第九号証及び弁論の全趣旨によれば、原告貞子は診断書三通を必要とし、その代金として一五〇〇円の支出を余儀なくされたものと認められる。

三  義足代等の費用 三八五万六一九七円

前掲甲第九号証、原告貞子、原告薫子(第一ないし第三回)各本人尋問の結果、及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第六、第七号証の各一、二、並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

原告貞子は、前記認定の後遺障害のため、終生、義足を必要とすることになつた。そこで、昭和五一年二月、大阪市北区天神橋筋一丁目所在の川村義肢株式会社にこれを製作させたが、義足を足に合わせる等のため、その完成までに前後一七回、同会社に赴かなければならなかつたが、その際、原告貞子は一人で歩行することが困難であつたため、近親者(主として原告薫子)の付添を得て、タクシーを利用する(一往復の代金一五六〇円)ことが必要であつた。最初の義足の代金は、附属品等が必要であつたため、四三万六〇〇〇円であつた。ついで、前記認定の同年夏の入院手術により足の形が少し変つたため、はじめから作り直す必要が生じ、同年一一月、二つ目の義足を作製させた。その代金は、三五万一五〇〇円であつた。通常、同様の義足の代金は一具三五万円、その耐用年数は五年で、その間に修理費として二四万五〇〇〇円程度を必要とする。

なお、右の耐用年数につき、原告貞子本人は、二年に一具程度必要であるといわれた旨、また、原告薫子は、実際には三年しかもたない旨、各供述しているけれども、後者の本人尋問の結果(第三回)によれば、それは、必ずしも義足の損耗によるものではなく、手術をしたりやせたりすることにより合わなくなつて買替える必要が生じる場合のことをも慮つたものであることが認められるところ、そのような場合がどの程度生じるかは不明であるから、右供述のみをもつて前記の認定を左右することはできない。そして、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 交通費 二万六五〇〇円

一回一五六〇円の割合による一七回分。

2 付添費 一万七〇〇〇円

一回一〇〇〇円の割合による一七回分。右金額を超える部分については、本件事故と相当因果関係がないものと認める。

3 義足代 三八一万二六九七円

(一) 最初の義足 四三万六〇〇〇円

(二) 二つ目の義足及びその修理代 五九万六五〇〇円

(三) 二つ目以後の分 二七八万〇一九七円

当裁判所に顕著な厚生省昭和五〇年簡易生命表によれば、二一歳の女子の平均余命は五七・一四年であるから、右認定の事実からすれば、原告貞子は、その生涯に、右二つ目以後、少なくともなお一〇具の義足とその修理代金を必要とすることになる。そこで、ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除してその現価を求めると、二七八万〇一九七円になる。

(算式)(三五万+二四万五〇〇〇)×(〇・八〇〇〇+〇・六六六六+〇・五七一四+〇・五〇〇〇+〇・四四四四+〇・四〇〇〇+〇・三六三六+〇・三三三三+〇・三〇七六+〇・二八五七)=二七八万〇一九七

四  自宅の改造費 二九〇万円

原告薫子本人尋問の結果(第一ないし第三回)及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一四号証の一、二によると、次の事実が認められる。

前記認定の後遺障害のため体の不自由な原告貞子は、その生活に適応するように、八尾鉄工建設に、その居宅を左のとおり改造させ、その工事代金として二九〇万円を支払つた。

1 出入を容易にするため、玄関の上り口を低くした。

2 一人で入浴することができるように、風呂場を拡げ、滑らないように、タイルを特殊なものに替えた。

3 和式便所を洋式便所に替えた。

4 手の力で昇降することができるようにするため、二階への階段に手摺を付けた。

5 畳敷であつた原告貞子の部屋を、松葉杖を使用することができるように、板張りにした。

そして、前記認定の原告貞子の後遺障害の程度、態様に照らせば、右改造のための支出は、本件事故による損害と認められる。

五  逸失利益 三二〇六万七八四六円

原告貞子本人尋問の結果によれば、原告貞子は、本件事故当時二一歳(昭和二八年九月一八日生れ)の健康な女子で、神戸学院大学栄養学部に三回生として在学中であり、本件事故がなければ昭和五一年春に大学を卒業するはずであつたことが認められるから、本件事故がなければ、二二歳から六七歳まで四五年間、就職し、あるいは家庭の主婦として家事労働に従事して、その間毎年一四二万〇一〇〇円(昭和五一年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、新大卒二〇歳ないし二四歳女子労働者の平均賃金)を下らない収入を得ることができたと考えられるところ、さきに認定した原告貞子の受傷及び後遺障害の部位程度によれば、原告貞子は、右後遺障害のため、生涯にわたり、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められるから、原告貞子の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、三二〇六万七八四六円となる。

(算式)一四二万〇一〇〇×(二三・五三三七-〇・九五二三)=三二〇六万七八四六

六  自動車購入等の費用及び薬学部編入のために要した費用について

1 前掲甲第九号証、乙第四、第五号証、原告貞子、原告薫子(第一ないし第三回)各本人尋問の結果、及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第八号証の一ないし三、並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一) 原告貞子は、本件事故による受傷後、通学や社会生活の便宜を慮つて、近親者の付添を得て自動車学校に通い、昭和五一年六月末頃、補助者なしで運転することができる運転免許を取得し、左アクセルに改造した自動車を一五九万四〇〇〇円で購入した。

(二) 原告貞子は、昭和五一年春復学したが、前記認定の後遺障害のため、志望していた栄養士は、資格取得のための実習が困難となり、更には資格を得ても現実にその業務に就くことは不可能と考えられるに至つたところから、これを諦め、たまたま、原告薫子の弟昌山昌夫が西成区の病院に薬剤師として勤務しており、薬剤師の資格を取得することができれば、身体が不自由であつても、将来、同人に雇用してもらつて稼働することも可能となる、と考えて、昭和五二年春、神戸学院大学の薬学部に編入学し、そのための費用として、原告貞子が請求原因(被告山本外三名)三の6の(一)ないし(四)で主張している各金額を支出した。もつとも、その後、左足の関節炎、血清肝炎、膀胱炎等が発症したこともあつて、思うように通学することができず、そのため、原告貞子に諦めの気持もでてきて、現在、同学部を卒業することができるかどうかの目途はついていない。

2 ところで、右1の(二)で認定した事実関係からすれば、原告貞子主張の薬学部編入のために要した費用支出の損害は、いわゆる特別の事情によつて生じた損害であると解すべきところ、本件事故発生当時加害者側において右の事情を予見しまたは予見すべかりしものであつたとは到底認めがたいので、右損害に関する原告貞子の主張は、その余の点を判断するまでもなく、失当である。

3 次に、原告貞子のような後遺障害が残存したものにとつて、自動車のない生活が極めて不便であることは明らかであるけれども、それが社会生活上必要不可欠であるとは、認めがたいところである。そして、自動車は、現在では相当まで一般家庭に普及し、女性の運転免許取得者もそれにつれて激増していることは、公知の事実である。これらのことを考えれば、原告貞子主張の運転免許取得のための費用及び生涯分の自動車代の全てが本件事故のために原告貞子に生じた損害であるとは、到底認めがたいところである。もつとも、本件の場合、右1の(一)で認定した事実関係からすれば、その時点で免許を取得し、自動車を購入するに至つた直接の契機は本件事故による後遺障害であつて、そのために余分の免許取得費用を要し、通常であれば不必要な自動車の改造費の支出を余儀なくされているのであり、また、神戸学院大学栄養学部を卒業するための通学に必要な限度ではその費用を本件事故のために原告貞子に生じた損害であると認める余地もあるが、その額を確定することは不可能であるから、右の事情、及び、将来の社会生活において、他の交通機関を利用することが困難であるため、自動車がなければ外出の際不便であるという事情を、慰藉料額の算定にあたつて斟酌するをもつて相当というべきであり、これを超える原告貞子の主張は失当である。

七  慰藉料 一二〇〇万円

さきに認定した事実によれば、将来ある女子大学生であつた原告貞子は、本件事故により、重傷を負い、約一年二か月の入院を余儀なくされたうえ、その労働能力を喪失し、将来に希望を持つことのできない身体障害者となつたものであり、原告貞子がそのため極めて大きな苦痛を被つたことは明らかであつて、その他、本件にあらわれた一切の事情を斟酌すると、その慰藉料額は、一二〇〇万円が相当である。

(原告泰雄、原告薫子の損害)

慰藉料 各一二〇万円

さきに認定した事実及び原告薫子本人尋問の結果(第一ないし第三回)によれば、原告貞子の父母である原告泰雄、原告薫子は、本件事故により、その愛娘が一瞬にして重い身体障害者となり、その死亡にも比肩すべき精神的苦痛を被つたことは明らかであり、更に、生涯、原告貞子のため種々の犠牲を強いられることとなつたこと、その他本件にあらわれた一切の事情を斟酌すると、その慰藉料額は、各一二〇万円が相当である。

(過失相殺)

さきに第一で認定した事実からすれば、原告貞子は、バツクブザーが鳴つているのに、衝突されるまで全く加害車に気付いていないのであつて、本件事故の発生については、右の点において原告貞子にも若干の不注意があつたものと認められるところ、前記認定の被告山本の過失の態様等諸般の事情をあわせ考えると、過失相殺として原告らの各損害の五分を減ずるのが相当と認められる。

(損益相殺)

原告貞子が、自賠責保険から七八四万円、被告山本から三九八万七五〇〇円、合計一一八二万七五〇〇円の支払を受けたことは、原告貞子の自認するところである。

なお、被告山本、被告会社、被告寺尾は、被告らは、右のほか、治療費、付添費等の名目で八八万三六一七円を支払つた旨主張するところ、原告薫子本人尋問の結果(第一ないし第三回)及び弁論の全趣旨によれば、被告らにおいて、本訴請求にかかる各損害金額以外のものとして、右らの名目で相当額の金員を支払つている事実は認められるけれども、なおその具体的な金額を特定するに足りる証拠はないので、これを過失相殺の対象となる損害額に加算したうえ損益相殺することはできない。

(弁護士費用)

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、被告貞子が被告山本、被告会社、被告寺尾に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は二二〇万円とするのが相当であると認められる。

第六結論

よつて、被告山本、被告会社、被告寺尾は各自、原告貞子に対し、金三九〇八万八二五五円及びこれに対する訴状送達の日の翌日ないしそれ以後である昭和五〇年五月三一日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を、原告泰雄、原告薫子に対し、各金一一四万円及びこれに対する前同日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を、それぞれ支払う義務があり、原告らの被告山本、被告会社、被告寺尾に対する本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、原告らの右被告らに対するその余の請求及び被告山田、被告雅夫、被告健夫に対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行及び同免脱の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富澤達 小圷真史 大西良孝)

別紙 〈省略〉

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